2026年 03月 14日
湯徳章ー私は誰なのかー

このドキュメンタリー映画の上映にあたり、台湾から2人の監督が来日され舞台挨拶が行われました。
映画は台湾の激動の歴史を追うというよりは、アイデンティティの問題に苦しんだある人物の人生の軌跡がインタビューを元に描かれています。彼を実際に知る人たちはすでに高齢で、今撮らないと彼の存在が歴史の闇に葬られてしまうと焦る制作陣の気持ちが伝わってくるようでした。
1907年、日本の植民地だった台湾で、警察官だった日本人の父と台湾人の母との間に生まれた湯徳章(台湾語でトゥン・テッチョン)。
台南には彼の胸像が設置された公園があり、彼の名が付けられた道路もあり、旧居は湯徳章故居記念館として保存されています。それなのに、台湾の人でも湯徳章が誰なのかを知る人は少ないそうです。
湯徳章って一体誰なのか? なぜ台湾のほとんどの人は彼が何者なのか知らないのか?
その謎を追って、彼の養子、姉の子(姪)の記憶を辿り、地元の歴史愛好家などの話を聞きながら、湯徳章の生涯を追います。
彼が生まれた当時はまだ日本人と台湾人の婚姻による戸籍変更が認められていませんでした。そのため彼の名は母の姓を取り湯徳章でした。父親は彼が7歳の時、台湾で起こったタパニー事件と呼ばれる台湾独立派と日本人との衝突で命を落とします。その後、林家の養子になり林徳章と名前が変わります。(父の姓より新居徳章と名乗ることもあったようです。)
台湾で父の跡を継ぎ警察官となった徳章は、父の兄弟・坂井又蔵の養子となり坂井徳章と改名。実姉の息子を養子にし、妻子を連れて日本へ渡ります。
日本で弁護士資格を取得した徳章は台南に弁護士事務所を開設します。
終戦を迎え、坂井又蔵との養子縁組を解消し、再び湯徳章の名に戻ります。
台南市南区区長、参議員、台南人民自由保障委員会委員など台湾の社会秩序維持のために尽力したのですが、1947年に勃発した二二八事件の後、軍に逮捕され見せしめのために公開処刑されています。まだ40歳だったそうです。
二二八事件の後、台湾では言語弾圧が行われ、長い間戒厳令が敷かれていました。彼の公開処刑を実際に目にした方もいらっしゃるのですが、事件のことを語ることはタブーであったため、養子だった息子さんでさえ父のことを口にすることはなかったそうです。そうして湯徳章は人々の記憶から消えていきます。
日本の統治下でも日本人と現地人との間に差別はあって、日本人と台湾人のどちらのアイデンティティもある湯徳章は、両方の間に立って苦しい時代を過ごしたことと思います。父方の叔父にあたる坂井家の養子になって日本人として弁護士資格を取得するのですが、その資格は台湾の人々の暮らしを支えるために使われます。そして日本の敗戦によって再び台湾人としてのアイデンティティを守ろうとしますが、中国から台湾に渡って来た蒋介石率いる国民党によって、二二八事件で多くの知識人らと共に処刑されてしまうのです。
彼自身は国民党員で、二二八事件の処理委員会台南分会治安組長の任にあたっていたらしいのですが、それでも処刑されてしまったのは、やはり日本人の血が混じっていたことの影響もあるのでしょうか。
彼の養子である息子と姪は実の姉弟でもあります。父であり叔父でもある湯徳章のことを話すことに最初は難色を示します。それでも2人の監督が彼らのもとへ足繁く通ううちに少しずつ心を開いて、思い出を語り始めます。
とても豪傑で、精神的に強い人だったらしい湯徳章の人物像が徐々に明らかになっていきます。
彼の父親の実家は熊本にあるのだそうです。監督は彼の孫を連れて熊本にいる遠い親戚を訪ねます。
そこで時代を遡っていくうちに「五木の子守歌」にたどり着きます。湯徳章の父親は幼い頃この唄を聞いて育ったはずです。もしかしたら湯徳章もその唄を父親に唄ってもらったかもしれません。
歴史は、後世に「その時代を誰が統治し、どういう戦・事件があったか」ということばかりを語りますが、一人の人間にもこんなに複雑で深い歴史があったのです。それはちっぽけでも、とても大切な歴史の一頁であるはずです。
湯徳章は時代の波に揉まれ理不尽な生涯だったかもしれないけれど、こういう人物の作った歴史が土台となって今の台湾と日本の関係があるということをしみじみと感じ、後半は涙が止まらなくなりました。
過去に起こった出来事が今の私たちに影響を与えているように、今の私たちがまた将来の人々に影響を及ぼします。
「今この時が歴史になるのだ」という監督の言葉が胸に響き、生きている人は誰もが将来に責任があるのだと思いました。
最後になりましたが、このドキュメンタリー映画を配給してくれたのは「太秦」という配給会社です。
会社の方が監督の舞台挨拶にも同行されていましたが、「流麻溝十五号」「百日告別」もこの会社の配給だったことをHPで知りました。
配給作品のラインナップを見ると、歴史や時代と向き合って真摯に作られた作品ばかりで、観る者の心に何かを残してくれる映画が厳選されている感じがしました。こういう高い理念を持つ会社のおかげで、世界中の良作の数々が日本に紹介されているのかと思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。
※二二八事件については下記↓の映画を参照にしてください。
※このドキュメンタリー映画を観て、ある疑問が湧きました。
台湾のほとんどの人が湯徳章のことを知らないのに、なぜ彼の胸像が設置された公園があったり、彼の名が付けられた道路があるのか?それが設置されたのはいつ、誰によって?
調べると、いろいろなことがわかってきます。
この公園は台南駅近くのロータリーの中にあります。
1907年に児玉源太郎(1898年~1906年台湾総督)の銅像が置かれたのが最初のようです。1916年には「大正公園」という名称になっています。
その後1945年の終戦後「民生緑園」と名を変え、孫文像が設置されました。
1947年の二二八事件の際、湯徳章はこの公園で公開処刑されています。
1998年、当時の民主進歩党の市長によって「湯徳章紀念公園」と改称され、彼の胸像が建立されました。
孫文像が破損や倒壊の危険性があることや、台南には日本統治時代の歴史的建造物が多く残っているので孫文像がこの公園の歴史的脈略に合致していないというのが表向きの理由だったようです。
この公園こそが、台湾の歴史に翻弄されてきたことがわかります。
これからの台湾がどうなっていくのか、台湾の中でもいろいろな意見、立場の人がいます。
台湾の未来は台湾自身が決めること。
監督が語る「今この時が歴史になるのだ」という言葉の重みを改めて感じました。
by choyon
| 2026-03-14 10:50
| 台湾・中国映画(鑑賞順)許光漢除く
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