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黒の牛

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『どこからともなく現れた「私」は、自己という「牛」をさがすたびに出る。』
『やがて「無」へと至る』

こんなことが書かれてあるチラシをもらったら、東洋哲学にハマっている私としては観ないわけにはいきません。
全編がフィルムで撮影されています。しかも白黒。(一部カラー映像あり)
昔の映画ならともかく、今はもうほとんど目にすることがなくなったモノクロ映画ですが、水の流れ、雨や雪、霧や靄など、光と影の揺らめきはカラー映像よりも鮮明に伝わってきます。しかも豊かな自然の濃い緑や深い青の美しさがなぜか見えるようです。カラーの画面を見るよりも、モノクロ画面を見ている時の方が、心が鋭敏になっているせいかもしれません。映像に対する監督のこだわりも感じられて、作品の映像美を堪能しました。

出演は台湾の名優・李康生(リー・カンション)。昔、蔡明亮監督と一緒に来日された時にお姿を見たことがあります。最近は「童話・世界」という台湾映画に出演されていました。「黒の牛」はセリフがないので日本語の芝居をする必要はなかったのですが、自分の内的世界がすべてさらけ出されるような演技を要求されるので、演じるのが難しかったでしょう。
後で書きますが、具体的な人物を演じるのではなくて、その人物の生きざまが観客に「悟り」をイメージさせなくてはならないのです。
それと同時に「牛」と対峙するシーンが多いので、その関係づくりにも苦労されたに違いありません。
特に牛を使って水田を耕すシーンは大変だっただろうなと思いました。

日本からは田中泯が禅僧の役で登場しました。

『禅に伝わる「十牛図」から紐解く、大いなる円環』とチラシに書いてあったのですが、「十牛図」というのは初めて知りました。
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【十牛図<じゅうぎゅうず>とは】~「チラシ」より
禅宗の修行過程を象徴的に描いた十枚の絵と、その詩文・解説からなる一連の図像である。牛は「心」や「真理」、あるいは「仏性」を象徴し、それを探し、捕まえ、飼いならし、そして超越していく修行者の精神的な歩みが、十段階に分けて表現されている。南宋時代の禅僧・廓庵禅師によるものが最も知られ、後に多くの寺院や画家により描かれてきた。十牛図は単なる修行の比喩にとどまらず、人間の内的成長と悟りの普遍的な道程を示すものとして、今日でも深い意味を持ち続けている。ー松山大耕(妙心寺退蔵院 副住職)


映画を見てのイメージです

山に住む民は自然との繋がりを失い、村の民にまぎれて生きることを選択します。
一人の男(少年)は、家族と離れて独り山に残ることにし、家族は「真の自分に目覚めたら山を下りなさい」と言い残して去っていきます。

1.尋牛<牛を探す>
山を彷徨いながら独り暮らす男。自分が何者なのかまだわかりません。川に出た男の前に小舟に乗って悟りの国へ行こうする人々と出会います。その舟に乗せてもらおうとするのですが、人々は男を乗せてはくれません。
男は自分の足で進むしかありません。

2.見跡<牛の足跡を見る>
山を下りた男は老婆と出会い、老婆に農作業を教えられます。米を作り、藁をたたくといった労働の基本や、飯の炊き方、女体の何たるかまで、人が生きることはどういうことなのかを学びます。老婆は亡くなり、死体は燃やされ灰になります。

3.見牛<牛を見つける>
老婆が死んだ後、田んぼを計測に来た役人は年貢が租税に変わったことを男に伝えます。
世俗に嫌気がさした男は再び自然の中へ。ただぼんやりと座って空を見上げています。
そんな男の目の前に黒い牛が現われます。
男は人として生きることを学び、悟りの世界に一歩近づいたのか・・・。

4.得牛<牛を捕まえる>
飼い主が死んでしまった黒い牛は誰のものでもありません。
男はなんとか牛を捕まえようとするけれど、牛は逃げ回ります。
尻尾の先を掴もうとしただけで、牛は後ろ足で男を蹴って拒絶します。
近づいたかと思えば遠ざかり、そしてまた近づいて、
おぼろげだった己の姿がはっきりと見えだします。

5.牧牛<牛を飼いならす>
牛に農具をつけ、男は家の前の水田を耕します。
牛のことが見えてはきても、まだ自分の思い通りにはなりません。
牛と一体になって進むことの難しさを男は味わいます。
時には前が見えなくなるほどの大雨に打たれます。

僧侶と出会います。
水、土、木、草、牛・・・みな仏性を備え持っている。
私はなにものでもありたい。
自然はすべてを包みこみ、
息をさせてくれている。

僧侶に連れていかれる牛。
独りになった男は牛と歩んだ生活を振り返ります。
雨は降り続き、牛は再び戻ってきました。
男の中で迷いが少しずつ晴れていきます。
牛をなでる男。また牛と共に水田を耕します。

6.騎牛帰家<牛に乗って家へ帰る>
牛と一心同体になった男は、牛に乗って故郷へ帰ります。
牛と共に進む男に手を合わせる村人たち。
ようやく男は悟りの境地にたどり着きます。

牛を借りたいという人に連れて行かれる牛。
そして牛が死んだと告げられます。
空っぽの牛舎に座り、男は泣くこともせず、
ただ虫の音を聞き、月を見上げます。
男はまた独りになり、自分を見つめています。

7.忘牛存人<牛を忘れる>
牛がいなくなってから男は牛舎で寝泊まりします。
いつものように、田畑を耕し、藁を打ちます。
収穫した粉で餅を搗き、その餅を口に入れたとき、
餅がのどに詰まり、男は呼吸ができなくなります。

8.人牛倶忘<自分も忘れる>
お経が聞こえ、男は靄の中に消えていきます。
世界は白い靄で覆われ、視界が失われます。

ー無ー


9.返本還源<はじめに戻る> カラー映像
海の中で爆発が起きています。
陸では牛の家族が草を食んでいます。
オーイと呼ぶ声に牛が鳴いて応えます。


10.入鄽垂手<町に出て人々のために働く>


「十牛図」は禅宗の修行によって、己の心と向き合って悟りの境地に至るまでの過程が描かれています。
本当の自分を見つけることがどれほど難しいか、ようやく自分が何者であるか掴めたかと思っても、その先にあるのは「無」の世界。そして生死は永遠に流転していきます。

モノクロ映像の美しさには感動したのですが、十牛図をただ辿っているだけの気がして、そこから自分が何かを得て心が反応するというところまではいきませんでした。もしかしたら監督が描きたかったのは「悟りの世界」ではなかったのでしょうか。映像美を味わうために制作された映画だと捉えて鑑賞すればもっと納得できたかもしれません。

⇒ある雑誌で監督が「自然とのつながりを文明によって断ち切られ、自分を見失った中で、新たな自分、そして自然との新たな関係を探し求める様を描きたかった」と語っていらっしゃるのを見つけました。これは「自然回帰への願望」を描いた作品だったようです。チラシがあまりにも哲学的だったので誤解してしまいました。最初から期待する方向が違っていたということですね。

でも重ねて言いますが、李康生の奥の深い演技はすばらしかったと思います。ただ、映画に登場する男がとても遠く感じられ、自分事として迫ってこなかっただけです。
その表情から何かを掴み取るだけの感性が私に不足していたのだと思います。もっと体調のいい時に鑑賞すれば違う想いを抱けたかもしれません。



※それから、タイトルはなぜ「黒い牛」ではなく「黒の牛」なのか?
「黒い牛」だと具体的な一頭の牛を指すことになり、この映画のように象徴として捉えられている牛の場合は、特定の牛を指さないというニュアンスを込めて「黒の牛」となったのかなと思いました。



by choyon | 2026-02-01 13:05 | ★日本映画 | Comments(0)

推しは周杰倫、五月天の阿信。新たな推しは許光漢!(推しはたくさんいた方がいい。^^)すべてネタバレあり。独断と偏見に満ちた自己満ブログです。


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